暮らしの挿話

日々の暮らしのなかに在る、身近なものたち。それらにまつわる物語を綴ります。

ちょうどサーキュレーター

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「え、これ扇風機でしょ?」

「違うよ、それはサーキュレーター
エアコンなんてついていない俺の安アパートの一室で、美智が小首をかしげる。
屋内とは思えないうだるような暑さと湿気の中、少しでも涼しさを求めて彼女は風の正面を陣取っている。
「それって何が違うの?」
「えーと、サーキュレーターってのは室内の空気の循環を目的で、どちらかと言えば業務用で使われることが多くて...」
「へー?」
聞いてきた割にそこまで興味がなかったのか美智はサーキュレーターに向き直って、あ〜〜と子供じみた事をしている。
そんな彼女でも、吹き流される細く長い髪がきれいだと思うのは惚れた弱みだろうか。

 

美智との付き合いももう3年になる。
なんとなく、大学を卒業したらこの関係も終わるのかなと思っていたけれど、そうはならなかった。
悲観しがちな俺の想像を笑い飛ばすように、美智は相変わらず俺の隣にいる。
いや、美智は社会人になってから変わった。あまり自覚はないけれどたぶん俺も変わったんだろう。
変わったから、大人になったからこそ、この関係を続けていられる。そして最近は、この居心地のいい関係をさらに進めたいと考えている自分もいる。

 

風に当たり続ける美智を注意するつもりで、さっきの会話の続きを始める。汗ばんだ肌が冷えたら身体に良くない。
「それ、直接風に当たるためのものじゃないんだけどな」
「え?じゃあ何に使うの」
「壁とか天井に向けたりして部屋の空気をかき混ぜるのに使うんだよ。上の方にたまる暑い空気と、下の方にたまる冷たい空気をかき混ぜて、段々ちょうどいい温度にするの」
「ふーん、2つの空気がだんだん混ざってちょうど良くなるって、なんだか恋愛みたいだねぇ」
美智はたまに詩的なことを言う。一応文学部だったからだろうか。
「それなら、サーキュレーターはキューピット?」
「んー、それはちょっと違う気がするー。なんだろう、シチュエーション?あっはー、適当なこと言ったわ私」
そう言って笑顔で振り返る美智を見て、自然と言葉がこぼれた。
「なぁ、そろそろ一緒に暮らさない?」
美智は急な提案におどろく様子もない。
「んー、同棲?」
「もし、美智さえよければ結婚でもいいと思ってる」
「でもいい〜?」
あ、まずい。間違えたかもしれない。
笑顔でも、怒っていると目でわかる。
俺はその場に正座し直して、やり直しに臨む。
「俺と結婚してください」
頭を下げた俺からは美智の表情は見えない。暑さに追いつめられるようにじりじりと判決を待つ。
「まったくさぁ、なんでこんな場所とタイミングでプロポーズなんてするかなぁ」
不満声に頭を上げると、赤い顔をほころばせている美智がいた。
「つい、なんか勢いで...ごめん」
「でも...ありがと。嬉しい」
美智が正座し直す。
「ふつつかものですが、よろしくお願いします」
それから、かしこまった空気に耐えきれずふたりで笑った。
「俺ら、ちょうど良くなれるかな」
「まあ、ゆっくりちょうど良くなろうよ」
fin.