暮らしの挿話

日々の暮らしのなかに在る、身近なものたち。それらにまつわる物語を綴ります。

考え過ぎな通学電車

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「おい!おっさん大丈夫か!?」

俺は驚いた。どうしてあいつは、あんなに馬鹿なんだと。

 

朝の電車の中で、突然目の前のおっさんが倒れた。
ほかの乗客は反射的に避け、彼の周りに空白地帯が出来る。誰もが少しの後ろめたさを感じながらも、面倒事には近寄りたくないと顔にはっきり書いてあった。
そこに、見慣れた制服姿が割って入ってきた。
「おい!おっさん大丈夫か!?なんで誰も助けようとしないんだよ!おい!おっさん!」
周囲にも当人にもそう喚き散らす坊主頭は同級生の野上おさむだった。
野上は教室では同じ野球部の連中といっつも馬鹿をやっては教師に目をつけられ、成績は下から3番目、授業中はほとんど寝てるという奴だ。
倒れたおっさんが自分で身体を起こした。大丈夫だと言っているようだが、立てずに床に座ったままでいる。
電車が駅についた。おっさんは一人で立とうするが、野上は肩を貸しておっさんと一緒に降りていった。
誰かが報せたのか直ぐに駅員さんが駆けつけ、慣れた様子でおっさんの介抱を始める。
そして野上が戻ってくる前に、俺たちが乗った電車は発車した。あいつは遅刻確定だ。

 

「野上!遅刻するなと何度言えばわかるんだ!」
「だーかーらー、電車で倒れたおっさん助けてたら電車乗り過ごしたって言ってるじゃないすか」
「嘘をつくならもう少しマシな嘘をつけ!」
男のくせにヒステリックに怒鳴る担任を無視して、野上は自分の席に座る。担任教師もこれ以上は無駄だと思ったのかホームルームを再開した。
俺は後ろから坊主頭を見ながら口まねだけで「ばーか」と言葉を投げつける。普段から態度が悪いから信じてもらえないんだ。
「...もう少しちゃんと説明すればいいのに」
「え?何がですか?」
まずい、声に出てた。隣の女子、花宮がきょとんとした顔をこちらを向けている。
「いや、野上がさ。ホントなんだからちゃんと説明すれば良いのにってハナシ」
くりっとした大きな目をなおも不思議そうにしている。
「え、あれってホントなの?」
「まあ。朝、同じ電車に乗ってた」
「えー、だったら教えてあげれば良いのに」
「やだよ。なんで俺が。めんどくさい」
「...野上君かわいそうです」
「信じてもらえないのはあいつの自業自得だろ」
今度は明らかな非難の目を向けてくる。なんなんだ。俺は間違ったことは言ってないぞ。
だんだんと無言で睨んでくる花宮の視線に耐えられなくなってきた。
「...緒方君、頭良いけど弱虫な人ですね。電車でもめんどくさいって見て見ぬ振りしたんでしょう」
そう言ったっきり必要以上に顔を逸らして、一日中こっちを見ようとはしなかった。

 

花宮の言葉が頭から離れない。
そのせいで、今日は一日中授業にも部活にも集中出来なかった。
帰りの駅のホームで、すっかり暗くなった空をぼーっと見つめながら何度も考えたことをまた繰り返す。
「なんで俺があんな事言われなきゃいけないんだよ」
あの場にいなかったくせに。何も考えてないくせに。
あそこでおっさんに声をかけたら、最低でも遅刻は確定だった。そして遅刻どころかもっと厄介な事に巻き込まれる可能性だって大いにある。
ネットでもニュースでも頭のおかしな奴は世の中にたくさん居るんだ。
俺は何も出来ないただの高校生なんだよ。救急隊員でも無ければ医者でもない。駅員でもない。そんな俺に何が出来るっていうんだよ。
考えれば考えるほど関わらないのがベストだって結論が出るんだ。そりゃ罪悪感はあるさ、それでも動けなかった。動く理由が見つからなかった。
それに、動かなかったのは俺だけじゃない。周りの、他の奴らだって同罪だ。俺なんかよりちゃんとした大人や爺さんだって居た。そいつらは良いのかよ、なんで俺だけあんな事言われなきゃなんねーんだよ。
野上以外、誰も何もしなかった。野上以外は...。
あいつは、なんであんな風に動けたんだろう。
いや、わかってる。馬鹿だからだ。何も考えずに、人が倒れた!やばいじゃん!?って思って声をかけたんだろう。後先じゃなく、目の前だけを見た。
今の世の中、後先考えずに行動したら大抵痛い目を見る。それに気づいてからは、ちゃんと考えてから行動するってことを自分なりに実践してうまくやってきた。
なのに、なんでこんなに悔しいんだ。野上に負けてなんかないのに、何がこんなにひっかかる。考えないから正しいことが出来るってなんだよ。
耳をつんざく汽笛と、強烈な光で一瞬思考が止まった。
気づくと電車がホームに滑り込むところだった。次々と人が降りてくるので慌ててドアの横によけ、電車に身体を滑り込ませる。
電車内はいつも通りそれなりに混んでいた。まだマシな満員電車というほどだ。
発車して少し経ったころに気がついた。
少し先、きれいな女の人の後ろに立っている中年男の手がおかしい。人に押されてる訳でもないのに手をスカートに押しつけているような...。
ようなじゃねえよ俺!あれ明らかに痴漢だろ!他に気づいてるやついないのかよ。
駅員さん...この満員電車でどうやって呼べと。他に頼れるような知り合いもいない。
痴漢だって指摘して、しらばっくれられたらどうする。社会人と高校生の言うこと、周りはどっちを信じる。
あのお姉さんだって痴漢されてるのに声を上げないってことは、俺が指摘した後も何も言えない気弱な性格かもしれない。そしたらあいつの言い分が通って俺は名誉毀損?慰謝料?
あ!そうかあの二人は実は恋人でそういうプレイなんじゃ...なんだそれならここで俺がでしゃばる必要なんて...ってそんな訳あるか馬鹿か俺!?
あの人明らかに困ってるだろ。こっからでも泣きそうに見えるよ。助けてあげたいけど俺には何も...。
「頭良いけど弱虫な人ですね」
「大丈夫か!?おっさん!」
思考でがんじがらめになった俺を殴りつけるように、花宮の言葉と野上の姿がフラッシュバックする。
俺は歯を食いしばって男に近づいた。
「おい、やめろよ」
自分で出そうと思ったよりもかなり小さいうえに、声が震えてしまった。
しかも電車の音にかき消されて誰にも聞こえなかったらしい。はは、かっこわりい。
だが、男は視線でこっちに気づいたようだ。
それでやめるかと思いきや、怖いなら黙ってろよとでも言うような目で、口元があざ笑っていた。
俺はうつむく。ああ、そうだよ怖いさ。色々最悪を考えたからめっちゃ怖えよ。
でも、だけどさ、もう懲りてんだよ。かっこわるい自分にはなりたくない。頭でっかちで弱虫な自分はもう嫌だ。
勘違いを笑われる?名誉毀損?殴られるかも?上等だ。
考えて考えて、かっこ悪い生き方をするくらいならそれくらいのリスク飲み込んでやる。野上にも負けない。花宮にも文句は言わせない。
これは、そんな自分になるための第一歩だ。
「おい!お前!痴漢なんかしてんじゃねえ!」
社内の人がいっせいに俺の方を向く。
そして俺が指さした先の男も注目を浴びる。
その視線にたじろいだ男が慌てて逃げようとするが、この人混みの中ではそれも無理そうだ。
「適当なこと言うなよガキが。訴えるぞ」
「適当じゃない!俺はあんたが痴漢してるところを見た!」
「この満員で?ほかに見た奴はいるのかい?」
案の定、お姉さんは何も言えずに俯いている。他の乗客も誰も声をあげない。遠巻きに見ているだけだ。
「ほら、誰も何も言わない。知ってるか坊や。こういうの名誉毀損って言って慰謝料も取れるんだよ?」
いいよ、わかってた。
所詮ガキに出来ることなんて、この程度だよ。とりあえず痴漢自体はとめられたし、後は駅に着いたら全速力で逃げよう。足には自信がある...。
「私もその人が痴漢してるの見ました!」
信じられなかった。声の方を振り向くとそこには花宮が仁王立ちしていた。
「車掌さん、あの人です!」
花宮の後ろには車掌が控えていてすっと俺と男の間に割って入った。そして花宮がお姉さんにそっと近づく。
「大丈夫ですか。怖かったですよね。でも、もう大丈夫ですから」
安心させるように肩に触れる花宮に対し、彼女は泣き崩れた。子供のように怖かったと訴える彼女の姿に、男は完全に追いつめられる。逃げようとするも、車掌の太い腕に捕まり拘束されていた。
呆気にとられている俺を置いて、事態は直ぐに収束した。男は車掌に捕まえられながら電車を降ろされた。
「花宮、これって...」
「私はか弱い女の子なので車掌さんを呼びに行ってました。緒方君みたいに自分で止めに入る勇気は出ませんでした」
少しばつが悪そうな花宮の笑顔にようやく気持ちが落ち着いた。
「いや、結果的に花宮が正解だっただろこの状況」
「確かに結果はこうですけど。でも、緒方君を見直しました。今朝は失礼なことを言ってごめんなさい」
「うるせーよ」
今度は俺が顔を背ける番だった。心がむずがゆい。
でも、今日はもう何も考えずに眠れそうな気がする。


fin