暮らしの挿話

日々の暮らしのなかに在る、身近なものたち。それらにまつわる物語を綴ります。

夏の終わりの線香花火

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「みんなで花火しませんか?」
時刻は夜の11時。まだまだ明るい我がオフィスでは、僕を含めて4人のスタッフが残業している。自慢じゃないがいつもの風景だ。
その中でも今年入社した新卒の瑞穂ちゃんが、突然声をあげた。
「だって毎日毎日遅くまで残って働いて!今年夏らしいこと一個もやってません!本城さん、ここの屋上って入れますよね!?」
僕に話題をふらないでほしかった。でも弱気で内気な僕は控えめに答えてしまう。
「まあ、あそこはいつも開けっ放しだからね」
「じゃあ、これから行きましょう今すぐ行きましょう!」
そうは言っても、屋上で花火はダメなんじゃないだろうか。それに夏が終わるこの時期じゃあ、近くのコンビニではもう花火は売っていない。僕は説得しようとおそるおそる口をひらいた。
「あのね、瑞穂ちゃん。たぶん、もう花火は売ってな」
「花火ならここにあります!」
「あるのかよ!」
僕の言葉に食い気味で答えた瑞穂ちゃんに、さらに気持ちのいいつっこみが決まる。僕の隣の小金井くんだ。瑞穂ちゃんが鞄の中から引っ張りだした手持ち花火セットに思わず口をついてしまったようだ。
「あはははは、そこまで準備されちゃあ行くしかないわねぇ」
普段は規則に厳しい経理である萩野さんの一言で、全員の屋上行きが決定してしまった。

 

僕らの会社の屋上は狭い。オフィスも狭いんだから当たり前だ。コンクリートがむき出しで殺風景な屋上は、花火に適していると言えば適していた。まあ、常識的に会社の屋上で花火なんてよくないとは思うけど。
「さて、ちゃっちゃとやりますかー」
「小金井さんそんな情緒のかけらもない言い方しないでください。私の夏の思い出が色褪せます」
オフィスの給湯室で水を入れたバケツを置いて、近くにろうそくを立てる。たばこを吸う小金井くんのライターで火を灯し、それぞれに瑞穂ちゃんから配られた小さな手持ち花火を持った。
それぞれ花火に火を点けていく。しゅーっと静かに火薬が燃える音を聞きながら、僕らは鮮やかな火を見つめていた。
「なんだか学生時代に戻ったみたいで楽しいわね」
荻野さんのこんな無邪気な顔をはじめて見た。早速次の花火を物色している。
「荻野さん、そんなに花火好きなんですかー?」
小金井くんが面白いものを見たという調子でからかう。
「え?いや、なんか、すごく久しぶりでつい...」
おぉ、照れてる。これもレアだ。花火の揺れる光に照らされた荻野さんは、ちょっと別人のようだ。心拍数が少しだけトクンと上がった。
小金井くんもそうだったのか、既にちゃっかり隣でしゃがんで花火の火をもらっていた。その行動力が心底うらやましい。苦笑しつつ瑞穂ちゃんの方を見ると彼女は早くも線香花火を手にしていた。
「日本人として、最初に線香花火やっちゃうのはどうなの?」
「本城さん、既成概念なんてのは壊してなんぼの世の中ですよ」
見ためイマドキの女の子である瑞穂ちゃんと”既成概念”という単語のギャップにまたも苦笑しつつ、僕も線香花火を一本もらうことにした。
火を点けるとゆっくりと赤い火球がふくらみ、火花がはじけだす。
僕と瑞穂ちゃんは何を話すわけでもなくじっと小さな花火を見つめている。線香花火って意味もなく感傷的な気分になるなぁと、ぼんやり思う。
「...ほんとはこの花火、彼氏とやるはずだったんです」
「え?」
ぼーっとしてたので、意味が頭に入ってこず間抜けなリアクションをしてしまった。
「会社帰りに待ち合わせて、そのまま海なんか行っちゃって、ふたりで夏の思い出作ろうね、なんて言ってたのに」
「...」
「名案だ!楽しそうだねって笑ってくれたのに」
「...」
「急に、いつまでガキっぽいこと言ってんだとか…意味わかんないですよ」
「...」
「本城さん聞いてますか!?」
「...一応」
言葉を吐き出すたびに涙をためていく年下の女の子にかける言葉なんて、あいにく僕の辞書には載ってない。なるべく水をささないように黙って聞くことくらいしか出来ない。
線香花火はいつの間にかコンクリに落ちていた。
「一応ってなんですか傷心の女の子相手に」
「...どんまい」
「軽っ。そして短かっ。もう少し慰めてくれても」
「...彼氏と仲直りできるといいね」
「フってやりましたよあんな奴。急に態度が変わった理由は、別の可愛い女に告られたからで、そっちに乗り換えるつもりだったらしいですから。彼氏の友人からがっつり聞きだしました」
「...」
恋愛偏差値の低い僕は展開の早さについていけない。それほどのバイタリティがあれば、別に傷心でも大丈夫なんじゃないだろうか。
「とまあ、そんな感じでこっちからフってやったわけですが、花火をしようって約束は宙ぶらりんになっちゃって。約束を上書きしたくて今日はみなさんを巻き込んじゃいました」
そう呟いた瑞穂ちゃんは少しばつが悪そうで、すねたような表情は子供のそれだった。自分でも子供っぽいことは百も承知なのだろう。それでも実行したのは、彼氏を好きだった気持ちに区切りをつける儀式が必要だったのかもしれない。ちゃんと好きだったんだろうな。
「上書きはうまくいきそう?」
「んー、ぼちぼちです。都会の真ん中で花火というのもなかなか貴重な体験ですよね」
僕たちはもういちど線香花火に火を点ける。
向こうでは調子にのった小金井くんがドラゴン花火に火をつけようとして、さすがに荻野さんに止められているところだった。身長の高い小金井くんの手からライターと花火を奪い取ろうと、ぴょんぴょんジャンプしている荻野さんがシュールだ。今日は本当に彼女の意外な一面をたくさん見る。
そんなふたりを瑞穂ちゃんは口を大きく開けて笑っている。その天真爛漫さに引っ張られ、僕もつい笑顔になる。笑っている僕たちに気づいた小金井くんと荻野さんも自分たちのはしゃぎっぷりに苦笑しながらこっちに来て、線香花火を受け取った。
ホント僕たち、社会人にもなって何やってんだか。
瑞穂ちゃんの失恋、荻野さんの無邪気さ、小金井くんのときめき、いつも顔を合わせている同僚たちの知らない一面。そういう一面を知れたことに僕はちょっと感動していた。決して社交的ではない僕は、こういった人の輪の中に入って仲を深めるのが苦手だったからだ。「大人になっても、花火って楽しいんだね」
「それじゃあ、どうぞ。ラスト一本です」
瑞穂ちゃんが最後の線香花火を僕に手渡す。
「最後ですから、慎重にお願いします」
小金井くんが花火の切っ先にライターで火をつける。僕は動かないようにじっと集中する。
今までで一番大きな火花がパシパシと散り始める。
「すごーい!」
瑞穂ちゃんは楽しそうに笑い、荻野さんはもう落ち着いてアンニュイな表情で見つめている。小金井くんはスマホで写真を撮ることに熱心だ。
あぁ、夏だな。
「良い夏の思い出だ」
「あ」
つい口に出したその瞬間、今年の夏は落ちて消えた。
fin.